梅雨の晴れ間にのぞく青空は清々しく木立を渡る緑風もさわやかに感じる季節となりました。
NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』はいよいよ佳境に差し掛かり、昨夜は豪華絢爛な安土城における織田信長の極めた栄華が印象的な反面「驕る平家は久しからず」本能寺の変まであと3回ですね。
今日は偶々なんと織田信長の出生日(1534年5月12日)で、云わずと知れた戦国時代最大の英雄は「天下布武」の旗印を掲げて、天下統一のため天正5年(157年)以降中国地方に進攻し、播磨國を戦乱の渦に巻込み黒田官兵衛の運命も変えた人物であります。
天正3年7月、官兵衛は岐阜城で信長に謁見しなかったら歴史の表舞台に登場することもなく、西播磨の田舎武将である小寺家家老として一生を終えたでしょう。
志免町中心部を流れる宇美川右岸に鎮座し志免西小学校と隣接する「亀山八幡宮」は弥生時代終末期の亀山古墳(円墳)跡で、本殿の裏一帯、さして広くない敷地にイチイガシ・イヌマキ・スダジイ・クスノキ・ヤマモガシなどが200本近く混生している森があります。
・亀山八幡宮:祭神は仲哀天皇・応神天皇・神功皇后・玉依姫命、江戸時代末は別府村と御手洗村の産土神(土地の守護神)で、例祭には流鏑馬も行われていました。
また古墳は日本最大級の朱に塗られた箱式石棺墓です。
亀山八幡宮参道 本殿と拝殿 朱の鮮やかな1号墳
亀山古墳 (1号墳) 直径13m 墳丘南東側の2.3.4.5号石棺
そこには「亀山八幡宮の森」の標示板が立てられどの木も樹高は10mを超えて枝に手が届かず、葉の観察は不可能なため樹形と幹以外ヤマモガシの確認ができません。
木々を巡っているうちに刻々と天候が悪化、いまにも雨の落ちそうな状況でしたが、正面に位置する大木の幹と葉の形状を怪しげな樹木の知識で、〈この木何の木気になる木〉と独り言をつぶやきながらしばらく眺めていました。
私が注目した常緑樹はそのあたりに5本を数え、幹周はそれぞれ1.40~2.10m、高さは10~1 2m程あり、 滑らかな青桐に似た幹で食痕だらけの葉をつけ明らかに周囲の樹木と異なった特徴がみられますが、これをヤマモガシと確定できず、少々焦りながら写真を撮っている途中に雨が降り出し、仕方なく胴吹きを一枝、御祭神から恭しくいただいて判断することにしました。
ヤマモガシの群生 ヤマモガシの幹(幹周1.70m) 虫食いだらけの葉 (全縁)
翌日、観察すると採取した葉には乳白色の小さな毛虫(長さ5㎜余)が数匹蠢いており、驚きながらも検索入門『樹木』などを参考に詳しくチェックした結果、鋸歯の形と亀甲状の側脈から間違いなくヤマモガシと分かり、ホルトノキとの違いは一目瞭然でした。
さらに葉の虫食いはサツマニシキの幼虫(長さ15㎜余)によるものと判明し、1週間後、事実確認のため大嫌いな毛虫採集をする羽目に陥るも、幸い大勢でウエルカムと出迎えてくれました。
・サツマニシキ:薩摩錦(かごっまんしょつやぁおいむんとちがいもんど)、マダラガ科の1種、本州から南西諸島に分布し日本美麗種といわれ、幼虫はヤマモガシを食べる美食家?成虫は暗い樹林下にみられ昼飛性ですが灯火にも飛来します。
サツマニシキリトルブラザーズ
ためしに他の職員へヤマモガシの葉を見せたところ皆初見で、私の希少木に対するこだわりを変な風に感心していました。
ヤマモガシは不思議なことに西日本各地の社叢で見られますが一般的にはあまり知られていません。
ヤマモガシの葉(胴吹き・鋸歯) ホルトノキの葉(若木) ヤマモガシの幼葉(挿し木)
しかし、舞鶴公園の樹木調査図はなぜホルトノキをヤマモガシと間違えたのでしょうか。
それを作成した某コンサルタントのミスは面白いことに半年前からブログの題材を提供してくれましたが、普段見ることのできない希少木は夢か幻の如くでエンディングになりとても残念な気がします。
ブログ担当は十三度、総務課総務係のOldManでした。