城内へ入る3つの門のうちのひとつ、県指定有形文化財に指定されています。平成12年に火災に遭い、大きな被害を受けました。現在は復原され、「福岡城さくらまつり」の時期など、年に何度か公開しています。市政だよりなどで公開日をお知らせしていますので、ぜひご見学下さい。
城内へ入る門は、堀に架かる3つの橋、上之橋・下之橋・追廻橋にそれぞれあり、このうち上之橋を渡って入る門が上之橋御門(大手門)です。2階建ての門で、2階は櫓になっていました
藩主を支える家老職の屋敷群があった三の丸から、二の丸→本丸→天守台と、城内を登っていくためのメインルートでした。
表御門は、大正7年(1918年)に、黒田家の菩提寺である崇福寺(博多区千代)に移築され、同寺の山門として使用されています。
福岡城の中枢である本丸への入り口の一つです。ここから本丸へ抜けた先には、藩主が政務を行なうとともに、住居としても使われた「本丸御殿」が建っていました
本丸から天守台への入り口となる鉄御門跡は、要衝の門にふさわしく、敵の侵入を防ぐため幅が狭くなっています。高く積まれた石垣の上に櫓や塀が張り巡らされ、上から攻撃できるようになっていました。
天正15年(1587年)小早川隆景が築いた名島城の脇門で、黒田長政が居城を名島城から福岡城に移すとき黒田24騎の一人である林掃部に下げ渡され、邸宅の門として使用されていたものです。明治の中ごろ、当時の代議士平岡浩太郎氏によって買い戻され、戦後、平岡浩氏(浩太郎氏の孫)によって現在地に移されたものです。
福岡県指定文化財に指定されています。母里太兵衛は黒田24騎の一人です。母里太兵衛の当時の屋敷は、天神2丁目野村証券株式会社(現福岡天神センタービル)のあった地にあり、この長屋門はそこに構えられていました。保存のために、昭和40年にこの地に移築されたものです。