近くの緑
今回は、緑あふれる箇所は市内にもたくさんあるけれど、自分にとって、割と身近な、割と気軽に行っている(少し不謹慎かも?)緑あふれる場所のひとつに触れてみます。
それは、時々、なんとなく、あるいは、気持ちが煮詰まった時に、
気持ちを落ち着けたい時、嬉しい時、苦しい時(なんだ、何でもありじゃないか!と言われそうですが‥)行っている「高宮神社」というところです。
家から車で10分くらいのところ、歩けば30分ぐらいの場所にあるのですが、
約10年ぐらい前に、なんとなく、近くの神社ってどこなんだろう?氏神さまってどこなんだろう?って思うようになり、福岡に住んで半世紀ぐらいになる知り合いに尋ねると、「市内にたくさん神社等はあるけれど、『高宮神社』も有名な神社のひとつだよ」と聞き、ものはためしで行ってみたのがはじまり‥
最初に行ったときはびっくり!
住宅街の中に、突然、樹木等みどりに囲まれた、神社が現れ、よくもまあ‥こんなところに(こんなことを言っては不謹慎と言われるかもしれませんが・・・)神社があるもんだ・・・と思っていたけれど、よくよく考えれば、先に神社があり、住宅は後で建てたはずなので、そのエリアだけは、神が宿るということで、住宅開発業者も容易に開発できなかったのかも!?と思って、霊験あらたか? なんかいいことあるかもしれない、なんとなく気になる神社だなあって思ったのが始まりでした。
それから、月に2~3度、気が向いた時に、気軽に行く感じで、約10年。
続いています。気軽に行き、いけば、なんとなく、しゃきっとするんですよねえ~
そして、なんかすがすがしいものを感じて帰ってきています。
ということで、少しネット(今はとっても便利になりました)で調べてみると、
・天智天皇(西暦655~661)の御代に磐瀬((現在の西鉄高宮駅東方)の行宮に居られた時に、神功皇后の縁の地として此処に神さまをお祀りになったのが始まり
・TNCテレビ塔一帯の高いところに創建、その場所の位置と地形、つまり今の平和台に在った外賓応対の施設と大宰府との連絡道路に面して居り、更に博多湾を望み、大宰府と那珂郡を一望できる軍事上重要な位置をなしていることや時代背景を考えると、国の外難防御祈願の為に創祀されていたのではとのこと
・当宮の寛永年間(西暦1624年頃)の棟札によると、本殿は藩主黒田忠之公の寄進されたもので、一の鳥居は長政公の寄進であり、拝殿は家老の加藤司書の寄進とのこと
その他、いろいろ記されてましたが、ようするに、霊験あらたかな?由緒ただしき?場所なのでは?
信心深い人間であるとは決して言えない自分ですが、行くとすがすがしい気持ちになるので、妙に納得しています。
四季により、その表情を変えるし、年中行事でいえば、初詣から始まり、どんど焼き、節分、ひな祭り、夏祭り、七五三・・・など、たくさんの親子づれ、受験シーズンであれば受験生などが訪れているようで、自分が行った時にたまたまでくわすと、ある意味、自戒に、自分への励ましにもなるんですよねえ‥
最後に、これを見ていたあなた!
疲れた時、嬉しい時、腹ただしいとき、お住まいの近くでいいと思うので、緑とともにある神社、お寺など、意外にいやされるかもしれませんよ!